エリミネーター(ELIMINATOR)カワサキバイク

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エリミネーターは最小のアメリカンバイク

『最小アメリカンであるエリミネーター。【アメリカンは曲がりにくい】という通説を覆すほど旋回も楽だった。CB125T、CD125Tがラインアップから外れた今、まともに体を預けて操縦できる純国産の125ccMT車はエリミネーターだけである。』という言葉を見て、購入を決めた。

カワサキ・エリミネーター(ELIMINATOR)とは、川崎重工業が製造販売するオートバイ。

1985年に発表され、エリミネーター125、エリミネーター250、エリミネーター400、エリミネーター750 エリミネーター900、エリミネーターseなど、モデルチェンジを含め、長い年月をかけ様々な形を展開しています。

しかし現在、生産・販売されているのは、エリミネーター125と250Vのみ。

125と250以外は、生産中止となっています。(※カワサキ エリミネーター900だけは、元々タイからの逆輸入車でした。)

現在でも支持される要因にカスタムが、あげられると思います。

自分だけのエリミネーターを作ることは、所有する者の永遠のテーマ。

僕もマフラーをカスタムしたいなと、今から思っています。 

「知ってる?エリミネーター」

皆さんは、エリミネーターをご存知でしょうか?

川崎重工業が製造・販売をするオートバイの『エリミネーター(ELIMINATOR)』。

このエリミネーターは「排除するもの」という意味となっています。

他社が軒並み、ハーレーダビットソン社製のクルーザーに似た形を採用する中、従来のクルーザーと違い、ドラッグレーサーをコンセプトに開発されたマシン。

このドラッグスタイルは、後に登場するヤマハのV-MAX、ホンダのX4に受け継がれています。

1985年にエリミネーターは発表され、シリーズ第1弾は当時の世界最速マシンGPZ900Rのエンジンを使用した輸出向け車両でした(排気量は900cc)。

この時、国内販売車は自主規制により最大排気量が750ccまでであったため、同じ年にELIMINATOR750を発売させています。

エリミネーターのカワサキぷち歴史

「カワサキ・エリミネーター」は川崎重工業が製造・販売をするオートバイ。

エリミネーターは1985年に発表され、従来のクルーザーと違ってドラッグレーサーをコンセプトに開発されたマシンである。

そんなエリミネーターを生んだカワサキについて、紹介してみます。

1878年、東京築地に創設。

1937年、航空機部門を分離し、「川崎航空機工業(株)」を設立。

1939年、「川崎重工業(株)」に、社名変更。

その後、敗戦の影響や数度の合併を受け、社名が変更されるが1969年に改めて「川崎重工業(株)」を発足。

流れを見ても分かっていただける様に、飛行機・ヘリコプターの製造や販売にも深い関わりがある。

第2次世界大戦後、アメリカのベル社・ロッキード社と技術提携。

1961年から二輪車に着手する《B7(125t)、M5(50t)を発売したのが最初》。

そして、モトクロス、ロードタイプと活躍の場を広げていく。

因みに元々、カワサキは造船所であった。

トップガンも後押しした、エリミネーター900

川崎重工業が製造・販売をするオートバイの「エリミネーター(ELIMINATOR)」は1985年に発表された。

他社がハーレーダビットソン社製のクルーザーに似たスタイルを採用する中、従来のクルーザーと違い、ドラッグレーサーをコンセプトに開発されたマシンである。

そのエリミネーターシリーズでエリミネーター900のデザインは、アメリカン・スタイルを残したロードスポーツモデルである「GPZ900Rニンジャ」のエンジンを搭載している。

カワサキ「GPZ900Rニンジャ」は1984年の発売当時、市販車では最高の加速を記録し、世界最速の座に君臨した。

翌年にはカラーチェンジしたGPZ900Rニンジャは映画「トップガン」でトム・クルーズが乗っていたマシンに使用された。

当時は「トップガン」の影響でエリミネーター900は、大ブレイクしたマシンでもある。

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